柔道整復の歴史

「接骨」「骨継ぎ」などの名称で長く日本に伝わってきた柔道整復術は、中国医学や江戸期に日本に入ってきたオランダ医学、 および日本古来の伝統的な武術、整骨術の影響をうけながら発展してきました。ここでは、その歴史のごく一部分をご紹介します。

古代・中世

平安時代、10世紀の末に当時鍼博士の官職にあった丹波康頼が円融天皇に『医心方』を献上しました。本書は当時までに日本に 舶来していた中国医学書を再編したもので、日本における現伝最古の医学全書ですが、巻18には、脱臼、骨折、打撲、創傷に対する治療法が掲載されています。

近世(江戸期)

近世にはいると大坂の高志鳳翼が延享三年(1746)に『骨継療治重宝記』3巻を発表し、これが日本における最古の整骨専門書と考えられています。

高志鳳翼 『骨継療治重宝記』 手関節脱臼の整復

本書では『瘍科証治準縄』(1601)をはじめとする10種以上の中国医学書が引用されており、彼の整骨術が中国の影響下にあったことがわかります。

江戸後期にはオランダ医学書の影響を強く受けた形で整骨術が現れます。その代表的な例が華岡青洲で、「華岡青洲整骨秘伝図」、「春林軒治術識」などが今日に伝わっています。

また精巧な木製模骨を数多く残し、 名著『整骨新書』を著した各務文献、同じく名著『正骨範』を著した二宮彦可などが整骨術で優れた業績を残しました。

裏帘法(二宮彦可 『正骨範』より)

二宮彦可 『正骨範』肩関節脱臼の整復

明治維新~戦前

明治時代に入り、新政府が成立すると西洋医学を主体とする医療制度が整備されていくと同時に柔道整復、鍼灸を含む伝統医療は制度面で大きく後退し、 明治27年(1894)の太政官令により接骨業は廃止の運命をたどりました。しかし、大正期に入ると、柔道家による柔道接骨術公認請願運動が活発化し、議会へ公認に関する 請願書が提出されます。そして大正9年(1920)の内務省令「按摩術営業取締規則」の改正で、付則の中に柔道整復術に関する記載が盛り込まれ、柔道整復術は法的根拠を 得ました。運動の目標は十分に達せられたとは言えませんでしたが、同じ年に警視庁にて第1回柔道整復師試験が実施されました。

戦後

1947年 「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」制定

GHQ統制下で旧憲法の下で制定された法律がすべて失効となったこの年に、この法律が制定され、柔道整復は再びその法的根拠を得ることになります。

1970年 柔道整復師法成立

これまでの「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」から柔道整復に関する部分が分離され、単独法としての「柔道整復師法」が成立しました。

1976年 指導要領の制定

この年に柔道整復師養成施設における指導要領(カリキュラム)が定められ、教育内容が明確化されます。 また柔道整復師の業務範囲についても骨折、脱臼、捻挫、及び筋腱などの軟部組織損傷に対する施術とし、柔道整復術の内容についても整復・固定・後療法 (手技・運動・物理療法)として明確に記述されるようになりました。

1989年 柔道整復師法改正

この改正で、従来都道府県単位で実施されていた資格試験が、厚生省(現厚生労働省)が実施する国家試験となり、厚生大臣免許となりました。

2001年 WHO報告書において初めてJudo Therapyが紹介される

この年にWHOで提出された”Legal Status of Traditional Medicine and Complimentary/Alternative Medicine: A Worldwide Review” において日本の柔道整復が初めて世界に紹介され、 日本における柔道整復に関連する法制度(教育・保険適用等)が記述されました。

2002年 日本柔道整復接骨医学会、日本学術会議に登録される

1992年に創設された日本柔道整復接骨医学会が「日本学術会議」第7部予防医学・身体機能回復の分野での登録が認められました。